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- 下内田村(近世)とは
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下内田村(近世) 江戸期~明治8年の村名飽田【あきた】郡のうち熊本平野南部,有明海に注ぐ千間江湖左岸に位置する熊本藩領村高は「旧高旧領」502石余「肥後国誌」によれば銭塘【ぜんども】手永に属し,高497石余,氏神として神明を祀るとある宝暦11年の田畑下名寄帳(県立図書館蔵文書)では,反別36町3反余,下名三反田に蓮堀空地,同居屋敷に阿弥陀堂床空地が見える安政3年の銭塘手永手鑑(天明村誌)では,家数76・人数360,祠堂に阿弥陀堂・荒神森6がある熊本県を経て,明治5年白川県に所属同8年内田村の一部となる |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」